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4月29日より、あてもなくぶらり四国の旅に出ることにしました。
柳井よりフェリーの予約だけは取りました。 あとは一切気の向くままの旅です。
けれど、魔呼の中には行きたいところの要望がいくつかあって、結局、魔呼の行きたいところが旅の目的になりました。奈呼と20年も昔に来た旅の記憶を辿り直すのが魔呼の願いだったのです。老仁は例の如くほとんど記憶に残っていないのでした。 |
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3時くらいに松山について、翌日は足摺岬を回りたいというので、ともかく南へ南へ走りました。暗くなっても宿らしきものはありません。宿毛まで来て、崖下に、ホテルのネオンがついていました。下っていくと、ホテルの看板は灯りがついているのに、玄関も駐車場も真っ暗です。注文の多い料理店はもっと明るくて誘い込む雰囲気があったのでしょうけれど、ここは初めから幽界への入り口のようでした。背筋に悪寒を感じながら、ようやっとUターンして坂を上りました。
初日から危険が満ちています。
それでも宿毛市内にはいるとホテルが開いていました。 |
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30日はとてもよい朝です。ひたすら足摺岬を目指しました。
空も海も青くて最高の日和です。 椿トンネルはもう花の季節を終わっていましたが、いくつかまだ花を残していてくれました。 |
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弘法大師の七不思議の事跡などあって、お遍路さんの郷ですね。
これは風穴です。なんと下のお寺さんの床下まで続いているらしいですけれど、
今はあいにく、詰まってしまっていました。 |
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四国に入って匂いの君の魔呼が 悩まされたのは椎の花の匂いでした。 どこの里山も全山椎の花の爆発です。芸術は爆発というのは命は爆発というのと同じことだったのですね。 |
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四万十川を源流まで遡りたいと思っていましたが、海があまりにもきれいだったので、太平洋を見るドライブをしました。
5月1日は夜半から豪雨でした。
ウインカーも効かないほどの豪雨で、ドライブも難しく、朝の内は竜馬記念館で過ごしました。竜馬さんにも会いに行けないほどの雨でした。午後はそれでも豪雨の中を海辺をドライブ。共済会館のキャンセル待ちがとれて、3時にチェックインさせてもらいました。
高知城前の道路が日曜市で開放されていました。雨の中延々と続く露天の店。常設かと思ってビックリでした。
共済会館の横の通りは木曜市が立つそうです。
はりまや橋はその先で、竜馬さんの生誕地も近くでした。
生ニンニクをたっぷりつけて食べた鰹のたたきがあたったのでしょうか・・・夜中から下痢がひどく、朝まで続きました。夕食のあと、すぐムカツイテ気分が悪く、仁は部屋に入るやいなや眠ってしまったのでした。その間魔呼は食べたの全部吐いたそうです。それさえ気づかず眠り込んでいたのでした。8時くらいに起きて、写真をパソコンに取り込んで、12時過ぎに寝たのですが、そのあと催してしまったのです。 |
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2日は朝から晴れて、竜馬さんに会いに行きました。 腹の具合はまだ良くないのですが、竜馬さんに元気もらって、祖谷渓に向かいました。 |
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奈呼が小学生の時祖谷渓のかづら橋渡ったのですが、そのころはまだ本当に秘境でした。
平家の落人が昔のまんまに現れそうな感じでしたが、今では車でかづら橋の横を通れるんですよ。
けれど、新緑は美しい。 |
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大歩危は鯉のぼりの川渡りがありました。
急流は川下りがあっていて、珍しい岩を眺めての
川下りを楽しみました。 |
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2日夜は道後温泉に共済会館のキャンセルを見つけて宿泊。
3日は石鎚山までドライブです。
魔呼は登山が好きでしたが、もう登れなくなりました。
登山した時宿泊した国民宿舎で休憩。石鎚山系スカイライン
が通行可能だったので、スカイラインをドライブしました。
瓶が森までのスカイラインと思っていたら、
1700メートルクラスの断崖を西城まで縦走するのでした。
所々路肩が崩壊した断崖道路です。
魔呼はもう二度と来ないといいますが、
仁は紅葉を見に来たいと切望しているのでした。 |
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途中、アケボノツツジの群生する山に遭遇しました。
今は真っ盛りの花の山です。 |
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